2016-05-12 第190回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第3号
そして、赤崎博士は、豊田合成とともに青色発光ダイオードの製造技術の実用化に取り組み、九五年に事業化に成功しています。さらに、二〇〇〇年代に入り、天野博士がエルシードという会社とともに製造技術を改良し、熱のこもらない効率のいいLEDの製造技術を実用化して、大量生産への道を開きました。ここにイノベーションが花開いたわけです。
そして、赤崎博士は、豊田合成とともに青色発光ダイオードの製造技術の実用化に取り組み、九五年に事業化に成功しています。さらに、二〇〇〇年代に入り、天野博士がエルシードという会社とともに製造技術を改良し、熱のこもらない効率のいいLEDの製造技術を実用化して、大量生産への道を開きました。ここにイノベーションが花開いたわけです。
産学官連携ですが、ノーベル賞を受賞しました青色発光ダイオードの名古屋大学の赤崎先生、これも、もともとは豊田合成との共同、まさしく産学官連携で、国が数十年前に補助金として産学官連携プロジェクトで助成したものがこうして大きな成果になったというものだと伺っております。 産学官連携は、今少しずつ着実にはふえているんですが、ただ、問題は、いずれも小規模だ、非常に小さい規模でしか育っていない。
今般、中村さんの発言がたくさん注目を浴びているわけですけれども、先ほどの赤崎教授はJSTが支えた、そして豊田合成が支えたということです。一方で、中村氏の場合は、所属をしていた日亜化学が支えたものだというふうに私は認識をしております。
その当時、石田調査員が教授のところに足を運んで、ぜひ民間と協力をして研究を進めるべきだと熱心に説得をされた結果、豊田合成との共同研究がスタートしたというふうに認識をしております。一九八五年でありますので、まだ私が二歳のころ、大分昔のころに始まった結果が、今しっかりと日の目を見たということであります。
そういうやっぱりいろんな経験をしていきながら、我々は、例えばLEDの今の話も実は、研究者の方々と産業界の間に実は触媒的な機能をされていた方が、これ豊田合成のプロジェクトチームなんでございますが、表には見えていないんですけれども、そこでいわゆるプログラムマネージャー的な人物が存在をしていたというような、そういういろんな経験をしていきながら、じゃ、こういう形でやっていこうと。
それから、先ほど福利厚生その他も含めての設備投資のお話もありましたし、あるいは安全あるいは排出規制、省資源、省エネルギー、その他いろいろありましたけれども、私も愛知県出身なものでありますから、たとえばトヨタさんの周りにあります愛知機械あるいは豊田合成、こういったところも新工場を非常に慎重にやるというようなこともありまして、自動車業界も去年からことしにかけて非常にかげりと申しますか、屈折点に来つつあるのじゃないかというふうに